ある5歳児が、お父さんにこう言いました。
「お金があるだけじゃダメ。自分が好きなことをやっていったらいいんじゃない」
「そうだね、すごいね、どうしてそんなことわかるの?」
「え?子どもはみんな知ってるけど、大人になったら、忘れちゃうんじゃない」
保育園と小学校への出張授業を通して、子どもたちの学びの環境を定点観測する機会に恵まれてから、はや1年半が過ぎました。
保育園の授業では、「じゆうにやっていいよ」と子どもたちに言う必要はありません。生活すべてが自己表現である彼らは、言われなくても自由に自分を表現します。ただ保育士に、「手を出さず、口を出さず、その子がやりたいと思うことができているか、観察してください」と伝えるだけです。
最初は「(Rinせんせいが見せたやり方と違うけれど)こうやってもいいんですか?」と確認されることも多いですが、「それもいいね!」とすべてを受容していき、子どもたちがどんどん生き生きと活動に参加していく様子を見ることで、たくさんの気づきがあるようです。
「待つことの重要さ、葛藤も考える時間も、大切な時間だとわかりました」
「自己表現をのびのびとしやすい”場“を、作ってくださっていると感じた」
小学校では、子どもたち自身に「じゆうに」の意味を考えてもらいます。「自分の中に答えは必ずあるから、誰かの言う通りではなく、自分に問う」こと。そこに向かって、「有限な時間を、自分でベストを尽くそうと決めて」活動しよう、「正解がない世界では、失敗がないのだから、あきらめる必要はない、発想の転換ができるよ」と。
型にはめよう、正解に導こう、全員が同じ場所に到達するようにしよう、時間内に完成させよう…そう思えば思うほど、オトナは子どもたちの「意欲のタネ」を摘んでいく。その事実から目を背けては、しあわせな教育の在り方を考えることはできません。
「普段の学習には参加しにくい子どもたちが、よい表情をしていた。こんなに安心して活動できる場を作りたい!」
「なかなか子どもたちの自立しようとする『芽』を待てずに、安易に指示をしようとしてしまっていた。すぐに答えを出してしまいがちですが、反省しました」
みんなと一緒であることや我慢することは指導するのに、自発的に何かをするという練習はせずに、「好きなものを見つけるのは大事」と言われても、結果として自分に自信が持てず、自己矛盾を生んでしまう。
日本の子どもたちには、人と違った自分独自の意思決定をする経験がまだまだ少なく、「やりたいことや、やりがいがわからない」と感じる若者を多く生み出してしまっているなと感じます。
幼いうちに、子どもたちが多様さに触れ、みんなが違っていてもよいと思える体験をたくさん積み重ねていけますように。そして将来、自分で何かを選択していく、たとえそれが人と違っていても、恐れず自分を信じて、困難をも乗り越えていけますように。
本来わかっていた大切なことを、忘れてしまわないで、大人になれますように。
井岡 由実(Rin)
国内外での創作・音楽活動や展示を続けながら、 「芸術を通した感性の育成」をテーマに「ARTのとびら」を主宰。教育×ARTの交わるところを世の中に発信し続けている。著書に『こころと頭を同時に伸ばすAI時代の子育て』 (実務教育出版)ほか。