大谷翔平の試合を夫婦で観てきました。花まる学習会を始めて32年目なのですが、起業して始めた会社でもあり、創業当時は一年のうち364日くらい働いていましたし、その後もずっと睡眠も短く、休日も全社員の誰よりも少ないという形で長年働きづめでした。それは辛いどころか、自分で決めた遊びをやり抜く小学生や、自分で決めた部活に熱中する中高生と同じで充実していました。子どもたちと向き合える授業や一緒に走り回れるサマースクールなどは、いつもずっと天国そのものの日々でした。
しかし、副作用としては「家族と一緒に過ごせる時間がほかの社会人に比べて極端に短い」ということがあります。最初の20年くらいは妻も大目に見てくれていましたが、さすがにまずいということで、コロナ禍になる前、年に1~2度、家族3人でハワイに行ったり、夫婦でドイツやスペインを旅したりという時間を作りました。それが、現地でお世話してくださる方々のもてなし力などにも恵まれ、実に心穏やかで楽しく幸せなひとときになったのです。
ところがコロナが襲ってきて急激に閉ざされ、回復途上の時代でも「まだ海外旅行復活は早いかな」と我慢するしかありませんでした。しかし「さすがにもういいだろう」と今年復活したのです。本当はパリのオリパラ観戦を企画していたのですが、どう調整してもサマースクールと重なる。それは一番大事なものを軽視する行動でもあり、やめました。やめたはいいが代わりに何がよいか考えました。私がまるまる一か月間毎日出ずっぱりのサマースクールの日々が終わり、9月上旬は秋の授業が開始する谷間でもあり、「大谷を観に行こう!」と夫婦での弾丸ツアーを提案したのです。正式にチケットを入手したのも夏前、というくらいの急な決定でした。
サマースクールで酷使した老体には若干ハードスケジュールでしたが、これが大当たりでした。2試合観たうちの1試合が、あのデコピンの始球式の日だったのです。ベンチ裏で観ていたら大谷選手が見覚えのある犬を抱っこしてグラウンドに登場。「デコピンだ!!」と球場全体がゴーッと轟音のような盛り上がりでした。そして何をするのか観客は知らなかったのですが、それは始球式だったのです。あの聞き分けとお行儀のよさ、跳ねるようにまっすぐに走る姿、無事に球を届けたあとのハイタッチや甘えぶり、受け止める大谷選手の子どものような笑顔、すぐには抱っこされないぞとスルリと逃げる仕草など、もうすべてが本当にかわいらしくて魅了されました。妻は「デコピンかわいいー!!」と少女のような歓声をあげていました。
試合は試合で、大谷選手のホームランも盗塁も観ることができ大満足でした。そしてさらに驚くことが起きました。当日観戦した客には先着順でデコピンを抱いた大谷選手のボブルヘッド人形をくれたのですが、二人とももらえたどころか、妻はゴールドの人形が当たったのです。まわりのアメリカ人の客たちが「写真を撮らせてくれ」「ラッキーだね」と言ってきたりして、おまけではあるのですが、「当たった感」が心地よく、なかには米国のフリマ・オークションサイトで超高額の値がついていることを教えてくれる人もいたりして、ホクホクした気持ちを夫婦で共有できたのです。
現地でもそうですが、機内や帰国後も、会う人会う人「持ってますねー!」と言われるし、そんなこんなで、旅自体だけでも楽しいのに、その一試合がくれた歓喜や驚きの詰め合わせのような肯定的な心のプレゼントのおかげで、妻がハレバレとした良い気持ちになってくれたのは、本当に嬉しかったです。
さて、帰国した日から脳性麻痺の25歳の息子が、すこぶる調子が良い。よくしゃべるし笑顔が絶えず幸せそうなのです。実は、生まれてこの方ずっと一日の例外もなく、「母が笑顔なら自分も笑顔。母が不安や怒りを感じていると何かの症状を出すくらい自分も不安定」だったので、いつも通りの反応ではあったのです。おもしろかったのはそのことに気づいていない妻が、お友達に「私たちが旅行から帰ってから、やたらご機嫌なのよね」と言っていたことです。横で聞いていた私は即座に「そりゃー、母ちゃんがご機嫌だからだよ!」と応えたのですが、「あ、そっかー」と大笑いになりました。
ところで教育のプロとして言い切れるのは、健常の子も含めすべての子が「母が安心なら子も安心」という生き物だということです。しかし無理して作った笑顔ではダメで、お母さん自身が心から「あー楽しい」「幸せだなー」と感じられていることが大事で、地域と支えつながってくれる先輩母さんが近くにいない現代では、母自身は「ここに行けば気持ちいいしホッとできるし笑顔になれる」という場所を外に持てるようにしてください、といつも伝えています。外で働いているお母さんもまったく同じで、働く喜びを心から感じていてくれれば、子はすぐに感知します。時間に追われるという当然の状況に、外注を含めどんどん他人に頼ること等で解決策を見出していればいいのですが、イライラし始めると子も崩れてしまいます。
ちなみにお父さんたちには、子どもの健やかな成長を望むならば、最大関数が母の安心と笑顔なのだから、外の本業としての仕事と同様に、家の仕事として妻を自由研究(縁あって結ばれた一人の妻は、きょうだいのあるなし、育った家の家風、出身地域、趣味嗜好、全員異なるからこその自由研究です)して笑顔でいられるように貢献しよう、と伝えています。
私ももちろんやっています。講演会では、「下の子が思春期に入るまでは臥薪嘗胆、父ちゃんたちがんばりましょう」と言っていますが、障がいの特性で何歳になっても純粋に母を信奉し喜ばせたい息子なので、自由研究はずっと大事なのです。
今回もちゃんと考察しまとめました。長年の研究成果としての持ちカードであった「旅の企画をこちらから提案する」も効いたし、百年に一人の天才・大谷翔平を目撃できたこと、観たいねと言っていたホームランも盗塁も観られたこと、おまけのラッキーでゴールドボブルヘッド人形が当たったこと、帰りの飛行機でいまや有名な大社長である私の昔の教え子と席が近く、彼が「先生!」と持ち上げてくれたこと等々、要因はいくつも考えられるのですが、何といっても生デコピンを思わず見られたことが、彼女の心を大きく震わせたなと感じました。「すごい」のカード群のなかに、思わぬ「かわいい!」カードがあったことで、心から「楽しかったー」と感じてもらえたのではないか。そう考えています。
以上、デコピンによって幸福にさせてもらった一夫婦の、妻研究の報告でした。二人で頑張る若いご夫婦の参考になれば幸いです。
花まる学習会代表 高濱正伸
🌸著者|高濱正伸
花まる学習会代表、NPO法人子育て応援隊むぎぐみ理事長、算数オリンピック委員会作問委員、日本棋院理事。1959年熊本県生まれ。東京大学卒、同大学院修了。1993年、「メシが食える大人に育てる」という理念のもと、「花まる学習会」を設立。「親だからできること」など大好評の講演会は全国で年間約130開催しており、これまでにのべ20万人以上が参加している。『伸び続ける子が育つお母さんの習慣』『算数脳パズルなぞぺ~』シリーズ、『メシが食える大人になる!よのなかルールブック』など、著書多数。