【Question】
工作が大好きなので、いろいろなイメージを膨らませながら楽しかったようです! 母としては、花紙での工作と書いていたので、お花等作ってくるのかと想像していたのですが、実際はダンボールのお城の工作をして帰ってきました。 思わず「お花紙は使わなかったのね?」と言ってしまったのですが……よく考えると、みんなお花紙を使っているなかで、それに流されることなく「自分で作りたいもの」を自由に想像し、形にすることができたのだなぁと思いました。帰ってからは「みんなが同じ材料を使っているなかで、それに流されず自分の好きなものを作れたこと、それが素敵だと思ったよ」と伝えました。よく聞いてみると、お城の前には水があって橋がかかっているそうで……話を聞くほど、細かいところまでこだわって作った作品なのだとわかり、嬉しい気持ちになりました。
質問です。幼稚園の自由画帳に、ひたすらぐるぐるっと丸を描いて「たくさん迷路ができた!」と持ち帰るのですが……作品をそのまま受け入れ、自分がいいと感じること(たとえば、色づかいなど)を伝えていればいいでしょうか。「迷路を描きたい!」と言っているので、たまには「迷路ってどんなふうになっているかな?」「線と線で道ができてるね」こんな会話もいいのかなぁと迷っています。
――5歳男の子のお母さまより
【Answer】
たくさんの「迷路作品」が、ぐるぐるの丸。けれどそんなとき「迷路とはこういうものだよ」と伝えるべきか、迷いますよね。彼が「迷路だよ」と制作したのは、もしかしたら迷路というものの“イメージ”を、作品に昇華したものかもしれません。 だとすると「スタートとゴールは?」というような、“迷路とはなにか”という大人の価値観・固定概念をおしつけるのではなく、「色をいっぱい使ったんだね」「いきおいがあるねえ」などあなた自身が感じたことを言葉にして「共感」「鑑賞」しあうことをおすすめします。
「どうやったらもっと迷路になる?」という“質問”に答える場合は、まずは「どうしたらいいと思う?」と本人の考えを聞いてみてください。そのうえで“共同制作者”としてのスタンスで一緒に考えてあげるといいでしょう。
この日の彼の段ボール作品は、自分と対話し「やりたいこと」を追求したアーティストの作品でした。自信をもって制作したことがわかります。カラフルなお花紙が素材テーマの日に、段ボールを盛大に使って大作を仕上げた彼のことを、お母さまが受けとめ、まわりに左右されることなく自分軸で選びとった彼の選択に気がつき、「素敵だと思ったよ」と伝えてくれたという事実。それは彼にとって、「ありのままの自分をまるごと認めてもらえた」という喜びになったはずです。作品を鑑賞することは、作者を一個の人間として尊重することと同じなのです。
「じゆうとは自分に聞き自分で決めること」「自分のやりたい気持ちを大切にすることだよ」という授業での哲学対話。たとえ5歳でもその意味を理解し、“自分で決める。やり遂げたい”という強い意志を持って制作します。彼は、作品をきちんと立たせるために思考実験を繰り返し、創作していました。そのプロセスは、アートそのもの。
うまくいかないときも、柔軟に発想の転換をするこころと思考のしなやかさ、自分で決めて制作したからこその達成感、そういうものがつまっていました。そう、こころと頭がグルグルと回り、まさに主体的な学びを体現していたのです。
だからこそ、鑑賞会では彼の作品をみんなが興味津々で見ていました。誰かの評価に合わせたものではなく、内なる自分が表現されたものは、光を放ち、人を魅了するものです。人生も同じですよね。
井岡 由実(Rin)
🌸著者|井岡由実(RIN)
国内外での創作・音楽活動や展示を続けながら、 「芸術を通した感性の育成」をテーマに「ARTのとびら」を主宰。教育×ARTの交わるところを世の中に発信し続けている。著書に『こころと頭を同時に伸ばすAI時代の子育て』 (実務教育出版)ほか。
「Atelier for KIDs」は、 小さなアーティストたちのための創作ワークショップです。
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