【36】『やる』と『やらない』のあいだ

 今年の夏、みなさんいかがお過ごしだったでしょう?嬉しかったこと、悲しかったこと…どんな経験も、豊かな子ども時代の一部になっていくものだと思います。そんな心動く夏休みを過ごしてきたのだな…と久しぶりに会う子どもたちの笑顔を見て感じました。
 私の夏休みはなんといってもサマースクール。夏の暑さ…以上に心が熱くなる。そんな日々の連続でした。
 「うわ~!!」と声が上がるのは「魚さばき」の時間。まずはレクチャーからスタート。魚のおなかに包丁がプスッと入る瞬間。目をぎゅっとつぶる子も。そして赤色の血がにじみ出てきて、ズブズブと刃を進めていく。お腹をひらいたら内臓を手で取りだし、よく洗います。(その後、お宿の方が焼いて夕食に出してくれるのです。)
 子どもたちが自分の手でさばく時間がやってきました。包丁を持ち固まってしまったのは2年生の男の子Sくんでした。草原あそびでは大はしゃぎで野原を走っていたSでしたが、包丁を持ったその背中はキュっと小さく丸まっていました。
 他の子が挑戦していく中、動けなくなってしまったS。手を添えて、一緒に魚さばきを「経験させてあげる」ことは簡単です。しかしここは親元を離れ、生きる力を、たくましい心を育むサマースクールの場。少し時間をとって彼と話をしました。
 「さばくの、怖いよな。血、見ると、痛そうに思えるよな。でもね、この魚はS以外だれも、なにもできない。どうしてもできないならそれでもいいんだ。そのまま捨ててしまおう。せっかくの命、ちゃんと食べようと思うなら、Sの手でやるしかないんだ。リーダーはどっちにしてもいいと思う。S、少し悩んでいいよ。」と。そのまま1分ほど固まったままのS。どんな決断をしようと、「自分で決めるしかない」と逃げずに、自分の気持ちに向き合っているこの時間こそ価値のある時間だと思い、待ちました。
 なかなか決断できないS。「無理してやる必要もないんだよ」と、どれだけ優しく伝えても決して包丁を離さなかったS。その時のSの表情を見て感じました。Sはあの時、「やる」か「やらないか」で悩んでいたのではなかったのでしょう。心では「やる」と決めていた。でも体がなかなか動いてくれなかった。「やる」と決めても、「やる」までには、少し時間が必要だったのでしょう。
 さらに数分後、ついにSが手を動かし始めました。最初はゆっくり、でも慣れてくると手際よく包丁を進めるS。ついには1人でやりきりました。内臓を取って、丁寧に洗って、そうして魚さばきの時間は終わったのです。
 それから何度も魚さばきの思い出話が彼の口から出たのです。そして最終日も。最後に私からは「『痛そうだから…』と手が止まって待っていたね。でもそれはSに勇気がなかったからじゃない。Sがどこまでも優しいからだと、あの時思ったよ。」そう伝え、お別れをしました。
 「やる」か「やらない」か、で選択を迫られる。子どもだけでなく大人にだってよくあることです。でも実は「やる」と「やらない」には、その間、があるのでしょう。「やる」と決めた、でも「やる」にはもう少し時間がかかる。「やらない」わけではない、でもまだやれない。時間が欲しい。そんな瞬間です。
 そんな自分の心と向き合う貴重な瞬間を大事にしてほしい。大事にしてあげられる大人でいたい。そんな気持ちに出会った夏でした。
 あの時Sを説得して、私の手をSの手に添えて、一緒にやってあげることは簡単でした。貴重な魚さばきの経験をさせてあげるのは簡単でした。でもSがこれから「やる」と「やらない」の間に立った時、自分で一歩を踏み出せる男になってほしかったから。あえて見守ることを選びました。自分の心と向き合うためには『ひとり』で頑張る瞬間と『信じて待ってくれる人』が必要なのでしょう。自分で心の壁を乗り越えていく『心の冒険』ともいえる時間ですね。
 そんな心の冒険を普段の教室でも大切に。どんな壁を前にしても「あなたなら頑張れる」と信じ、待つ。そんな場所であれるよう力を尽くしますね。

 

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