~こころと頭を同時に伸ばす 幼児期の子育て14~
「せんせー、〜が〜してきた!」
子どもたちが集まれば、いざこざはつきものです。
教室でも野外体験でも、子どもたちがそんな報告をしてきたら、 「〜が〜してきたのか。それはいやだったね。 」と気持ちを受け止め、まずは共感のことばをかけます。
気をつけて見ていきますが、 「どれどれ、それはいけないね。 」と大人が介入して、仲裁に入ることはほとんどありません。
それは、なぜでしょう?
もしも大人が、いつも積極的に仲裁に入り、謝罪をさせ、仲直りをさせるなど表面的な和解をさせようとしていると、どのようなことが起こるでしょうか。
せっかくの「対立」という状況を、 自力で解決するチャンスを奪われた子どもたちは、 「何かが起きたときには、誰かが何とかしてくれる」と考えるようになります。
自分の何が相手を困らせたのか、なぜ相手の言葉に感情的になったのか、深く内省する機会も、誤解を解くために勇気を出して言葉を選び伝える経験も、そこにはあったはずなのに。
小さな対立の後ろには、自分という人間をよく知るチャンスが、いつも隠れています。
どんなことをイヤだと感じるのか。
相手にどんな態度でいてほしいのか、それはなぜなのか。
自分が大切にしていることは何なのか。
逆に、相手が大切にしていることを知ることは、考え方や視野を広げることにもつながります。
そして、そんな経験をたくさんしている人は、自分と違う感性を持った人々に対して、寛容です。
“ 恨みを持たない ” 幼児期の子どもたちは、さっきまで喧嘩をしていてまだ涙も乾ききっていないのに、次の瞬間には笑顔でまた一緒に遊べるという(うらやましい)特性を持っています。
(幼児期を通り越し、大人になってからだと、そう簡単にはいきませんよね。)
幼い時期にこそ、多くのもめ事やけんかを経験して、たくさん解決する経験を積めるように。
そう願っているからこそ、私たちは、仲直りするそのプロセスを奪わないように気をつけているのです。
大切なことは、 「トラブルを学びに、どう変えるのか」です。
実社会では、周囲の人間と見解の相違が生じるのは当たり前で、よくあることです。
その対立自体は、当たり前のことで、悪いことではないのです。
そんなときに、起こった出来事を環境や周りのせいにするのではなく、対立そのものを恐れて自分の意見を言えなくなったり、関係性を終わらせてしまったりするのではなく、自分を信頼して、解決に向かっていける人であれますように。
「けんかは、 こやし」 。
子どもたちは元来、自分たちで問題を解決する力を持っています。
私たち大人が、それを信じること、彼らの、トラブルから学ぶ機会を奪わない姿勢が大切なのではないでしょうか。
井岡由実(Rin)
国内外での創作・音楽活動や展示を続けながら、 「芸術を通した感性の育成」をテーマに「ARTのとびら」を主宰。教育×ARTの交わるところを世の中に発信し続けている。著書に『こころと頭を同時に伸ばすAI時代の子育て』 (実務教育出版)ほか。