はじめてAtelier for KIDsに参加したある1年生の男の子は、「楽しかった、また行きたい」「僕はね、つくりたいんだ。またあそこでつくりたいんだよ」とお母さんに訴えました。
彼の口から「つくりたい」という言葉が出たことに、お母さんはびっくりされていました。
小学校の図工の時間、彼は紙粘土を前にして、いつまでもとりかかれずに泣いていたそうです。運動会の絵を描くときも、真っ白な画用紙を前にして、やっぱり泣いていたそうです。
ただ、アサガオの葉の観察は、色づかいも綺麗に描いていたことを見ていたお母さんは、「本人は図工に苦手意識があるようだ。でももしかしたら、色をつかうワークショップだったら、楽しくできるのではないだろうか?」と思い切って参加してくれました。
はじめての空間で、まわりの雰囲気を全身で感じ続けていたのでしょう。創作の時間が始まり、絵の具を前にして筆を持ち、それでも、彼はただじっと、仲間の様子を観察していました。
想像していたよりもずっと長い時間が過ぎました。ほかの子どもたちは、すでに自分の世界に没頭しています。
私はそっと彼の後ろにまわり、彼の手を持ち、すでに彼の手によって出されていた絵の具に、筆をそっと近づけました。いっしょに筆につけた絵の具を、そっと塗ってみせると、彼の意識が急に集中することを感じました。
それまで身体中で感じ取っていた、この空間の「じゆうにやってよいのだ」ということの意味。「やらねばならないなにか」でも「先生の求める正解」でもない、「自分がやりたいことを表現する」ということとは何なのか。「誰もが思うようにやって、感じたことを話し、それらはすべて同じように尊いものとして受け止められるものなのだ」という事実。
それらが、一瞬にして、彼の腑に落ちた瞬間でした。
「他者から求められるもの」に敏感で、繊細な子どもたちにとっては、図工の時間という、評価や正解を求められる場では、自らを表現するために思い描くイメージや、こうやりたいという思いがあったとしても、どちらを優先していいのかわからなくなる、ということはよく起こります。
「本当に、じゆうにしていいの? !」と目を輝かせて、狂喜乱舞することで、その喜びを表現する子もいれば、彼のように、こころから安堵のため息とともに、身体中で、それまで彼を縛っていたなにかから解かれる子もいるのです。
人は本来、自分という人生を自分らしく作っていくアーティストです。どの子も自分の持っているタネを、そのまま花咲かせていけるように。来年度も見守っていきたいと思います。
井岡 由実(Rin)
🌸著者|井岡由実(RIN)
国内外での創作・音楽活動や展示を続けながら、 「芸術を通した感性の育成」をテーマに「ARTのとびら」を主宰。教育×ARTの交わるところを世の中に発信し続けている。著書に『こころと頭を同時に伸ばすAI時代の子育て』 (実務教育出版)ほか。
「Atelier for KIDs」は、 小さなアーティストたちのための創作ワークショップです。
>>>ワークショップの詳細・開催情報はこちら