【松島コラム】『きっかけ』 2018年2月
東京都教育委員会は、都立高校入試に公立初の英語のスピーキングテストを導入することを発表しました。
2019年度に試行し、その後全面実施になる予定です。
実施方法についてはまだ決まっていないようですが、次期指導要領の中で4技能を使った英語教育を示している以上、今後こうした動きは全国に広がっていくと考えられます。
また中学受験においては、小学校での英語の教科化に伴い、英語を受験科目に課す学校が増えることが予想されます。
これまでも、「英語を学ぶのは中学からで十分。それよりも日本語をしっかり学ぶべき」など、小学校からの英語教育に反対の声もありましたが、国の政策として導入が決まったからには、過去の反省を生かし、子どもたちみんなが英語を好きになる教育を行ってほしいと願っています。
私の英語との出会いは、父親が教えてくれた英語の歌でした。
高等商船学校時代に終戦を迎えた父は、たまたま英語の代用教員として採用され、その後小中学校の教員として約40年間勤めました。
私が小学生のころ、父は中学の野球部の監督をしていたため、平日はもちろん休みの日も遠征試合などでほとんど家にはいませんでした。
そんな中でも、たまに早く帰ってくる日には私と一緒にお風呂に入り、「Ten little Indians」という歌を教えてくれました。
最初は父のあとについて歌っていたのですが、だんだん一人で歌えるようになると、「2番まで歌い終わったらお風呂から出ていいよ」というのがお約束になりました。
日本語で1から10まで数えるなら簡単ですが、「Ten little Indians」は、1番でoneからtenまで数えた後、2番ではtenからoneまで戻らなければなりません。
さらにそこに「つかえたら最初からやり直し」というルールも加わったため、九九のごとく、正確かつできるだけ早口で歌えるように何度も練習をしました。
きっとそこには、ゲームのようなワクワク感やドキドキ感とともに、「親に褒められたい、認められたい」という子ども心があったのだと思います。
今思えばとても楽しい時間でした。
当時は小学生が英語に触れるチャンスはほとんどない時代でした。
後にも先にもあの歌以外に父から英語を教えてもらったことはありません。
群馬の山奥の小さな村では本物の外国人に会うこともありませんでしたから、私にとって英語は遠い国の不思議な言葉でした。
しかし、その後中学や高校で英語を学ぶようになると、どんどん好きになり、大学ではイギリス文学を専攻するほど英語にのめり込みました。
そのきっかけは父が教えてくれたあのときの歌だったような気がします。
小学生なのに英語の歌を間違えずに歌えるということが、「ぼくは英語が得意なんだ」という自信につながったのではないかと思うのです。
もし父が一方的に英語の問題集などを買ってきて、英語を教えこもうとしていたら、やらされている勉強になってしまい、私は英語嫌いになっていたかもしれません。
時代や環境のおかげで、「勉強しなさい」ということも一言も言われなかったですし、強制もされなかったことは、幸運だったと思います。
定年後父は自宅で小さな英語塾を開きました。
晩年は管理職の立場にいた父でしたが、やはり現場で英語を教えることが大好きだったのだと思います。
私は大学卒業後、教育業界に入り、必要に迫られて算数を教えているうちに、その魅力と奥深さを知り、英語同様にのめり込み、ついにはそれが専門科目になってしまいました。
しかし、もともとは英語の指導者を志して塾の講師になりました。
今英語を教える側に求められる力は、父の時代のそれとは異なってきています。
私自身、錆びついてしまった部分を磨き直して、いつかその夢をかなえたいと思っています。
いよいよ入試本番です。FC・道場生の大活躍を期待しています。
保護者の皆様。一番大変な時期ですが、最後までわが子の合格を信じて、元気に前向きに応援をお願いいたします。
皆様にとって、意味のある幸せな受験になりますことを心より願っております。
※本コラムは、『FCだより2月号』(会員向け・1月末配付)に掲載したものです
スクールFC代表 松島伸浩
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